◆法的観点:
キャラ名や作品名など、あらゆるものの名称、キャッチコピーなどの短いフレーズは、例えそれがいくら斬新で画期的なものであっても著作権は一切認められない。商標の場合、商標法や不正競争防止法の保護対象になりうるが、権利を主張するには消費者が商品(あるいは商品イメージ)を混同し権利者が利益を損なう恐れがあることが要件。市場が違えば、基本的に要件を満たすことはない。例えば、今新しく「ワンピース」というタイトルの漫画を連載することは出来ないし、黄猿の本名を使って「ボルサリーノの帽子」というグッズを発売しようとすれば、問題が発生するかもしれない(※ボルサリーノ=イタリアの帽子メーカー、黄猿が本編中で着用しているものに似ている)。
◆創作的観点:
逆に名称(人名も)やフレーズに著作権を認めてしまうと、創作活動は破綻する(説明不要)。
◆ファンの観点:
例えば、実在の人物の名前にちなんでキャラクターに命名すると、その人物のイメージが強い場合はキャラクターが潰れてしまう危険があるが、名前が覚えやすいという利点もある。歴史上の人物の場合、名前を知っていれば大抵はワクワクする。ワンピースには実在の海賊に由来する名前を持つキャラクターが多く登場する。
<キャラクターの著作権について>
◆法的観点:
法律上、創作物は他者の創作的表現をコピー(複製)したものではなく、ほんの少しの創作性があればオリジナルと認められる。キャラクターの創作的表現とは容貌、容姿、性格等のこと。どの程度の同一性を満たせばコピーと言いえるかは明確になっていないが、判例は商標権的な考え方で、同一のキャラクターと誤認されるか否かが基準になっており、その基準は厳格である。例えば、次のような画像リンクがスレにコピペされているが、法律上、両者(Dr.エッグマンとダガマ)は全くの別物である。つまり、特徴が”似ている”だけでは著作権侵害に当たらない。
ところで、漫画やアニメ業界においてパロディは暗黙の了解で良しとされているが、創作的表現をそのままコピーした、いわゆるもろパクリ系のパロディは法律上は著作権侵害に当たる可能性がある。が、いずれにせよ日本では、著作権侵害は親告罪なので、権利者が訴えない限り問題にならない(もし、現在議論されている非親告罪化が実現すればアンチや告発マニアによってパロディ作品は世の中から消える)。
◆創作的観点:
著作権法の意図は著作権を守ると同時に、著作権の暴走を防ぎ、創作活動を保護している(個人的解釈)。作者が意識しているにせよ無意識にせよ、パク論派が主張するような特徴が似ているだけで盗作と認定されるのだとしたら、まともな創作活動は出来ない。締め切り期日に追われている週刊連載漫画はなおさらである。
キャラクターの創作性は容貌・容姿・性格の他には言葉遣いや所作、設定、さらには作品の世界観も全て含めて評価するべきである。ワンピースのキャラクターの中で『ロッキー・ホラー・ショー』のフランクリン・フルター博士がモデルだと明かされているイワンコフは、大きくデフォルメされた顔、ホルホルの能力、口癖や性格などワンピース世界では全く別のキャラクターに生まれ変わっている。そこには十分な創作性があるが、パク論派はモデルの存在=パクリ確定とし、創作の正当性を認めようとはしない。
◆ファンの観点:
本当かどうかは置いといて、キャラクターの元ネタを探索することはファンの楽しみの一つであり、作者が無意識であっても、それは作者の頭の中を覗くようなエキサイティングなこと。実際、パク論派が引用している画像のほとんどは元々はファンブログで検証されていたものであり、本来はジョークネタだったものまで盗作元として扱われている。 ※私が作った画像もコピペに使われています→【画像】 ワンピースキャラのモデル一覧 【シャボンディ版】
<肖像権について>
◆法的観点:
日本の法律に「肖像権」を明文化したものはなく、代わりに「肖像権」に当たるものとして解釈されているのが「人格権」と「財産権」である。引用記事の判例は人格権侵害に該当し、要は原告の自身がモデルとされる人物が漫画に登場し、精神的苦痛を受けたことに対する慰謝料を認めたということ(正直、地裁のとんでも判例という印象)。コミックスでは該当シーンは描き直しされている。著名人の場合は、著名性からその肖像には商業的価値があり財産権が認められうるが、逆に公共に露出の多い性質から、一般人と異なり上記の人格権の侵害は認められにくい。
ワンピースには実在の俳優をモデルにした3人の海軍大将が登場する。いずれも顔がよく似ており、それぞれの肖像物になりうる。しかし、3人とも有名な俳優(1人は故人)なので、人格権を基にした肖像権は認められにくい。では、財産権を基にした肖像権はというと、それぞれの俳優に似ているキャラクターを登場させ、それを宣伝して、ワンピースが特別利益を得ているかどうかが争点になる。もちろん、そのような宣伝は行われていないし、その俳優がモデルになっているキャラクターが登場することを理由にワンピースを買う人物がいるとは考えにくい。いずれにせよ、肖像権侵害は民事訴訟であり、これまでに問題を訴えている団体・個人はいない。それは、好きだからという理由でモデルされたことに対して気分を悪くする人は普通いないからであり、使用許可も取りやすい。
また、名誉毀損に当たるかについては、読者が「キャラクター=モデルの人物」だと認識していることが要件になる。モデルであることは分かっていても、ロギア系能力者で海軍大将である黄猿、赤犬、青雉をそれぞれの俳優自身を描いているものだと読者が認識していると裁判所が判断することはない。
◆創作的観点:
漫画やアニメ業界において、特にギャグ作品やパロディ作品では、著名人を連想させるキャラを登場させて笑いのネタにするケースはしばしばある。個人の「人格権」に対して、作者が有するのは「表現の自由」であり、2つの権利は相反する。どちらの権利が尊重されるかは、程度に左右され、要するに作者側からすればどこまで”攻められるか”ということである。”攻めた”作品は当然面白いし、不快を買うこともある。その量的判断をするのは、漫画の場合、担当編集である。
◆ファンの観点:
モデルにされた人物のファンの場合、そのキャラクターの扱われ方によって受け方は異なる。貶されていれば不快に思うし、そうでなければ多くの場合、好きな作品に好きな人物が登場すれば嬉しく思う。
<アイディアの著作権について>
◆法的観点:
著作権法は「文芸」、「学術」、「美術」、「音楽」の4分野が対象。著作権は創作的に表現された「著作物」を保護するものであり、アイディアに認められるものではない。パク論派は表現技法や設定、ストーリー展開に類似点を見出して盗作の根拠と主張することが多々あるが、いずれのケースも著作権侵害に当たらない。
◆創作的観点:
脚本(原作)が同じであっても監督(漫画家)が違えば、そこに込められる創作的表現は全く異なる。たとえアイディアが被っていたとしても、そこに異なる設定や根拠があったり、受け手が両者に異なった印象を感じることができれば、創作物として成立している。例えば、搭乗型巨大ロボット作品の数々を『マジンガーZ』のパクリと非難する理由はない。優れた表現技法を吸収し、ありふれた設定をどのように作品に活かすかというのが漫画家の腕の見せ所であり、その積み重ねによって今日の日本の漫画の成熟がある。映画、演劇、絵画、音楽の世界でも同じこと。
ワンピースの”発明”は「悪魔の実」であり、その設定は、「その果物を食べると”○×○×”という能力が得ることができるが、カナヅチになる。その能力は超人系、動物系、自然系に系統分けできる」というもの。この大きな枠組みさえあれば、誰でも能力のアイディアを色々考え付くはできるが、能力者の性格やバトル展開、ストーリーも含めてキャラクターデザインをすることが漫画制作のアイディアである。能力の一つを取って「あの作品のあの能力のパクリ」と言うパク論派の主張がいかにナンセンスか。そして、それらの主張の多くには無知と想像力の欠落が見られる。例えば、「盗っ人妖精」が「借りぐらしのアリエッティ」、「新海軍大将の能力」が「FFシリーズのメテオ(隕石魔法)」などというものは、お話にならない。
◆ファンの観点:
元ネタがある場合、パクリ(盗作)とオマージュとパロディの違いを表した次のようなフレーズがある。「受け手が元ネタを知っていた方が好ましいのがオマージュ、気付いてほしくないのがパクリ、元ネタありきで元ネタがわからないと楽しめないのがパロディ」。これは作り手と受け手の関係を基準した分類であり、著作権法に基づいたものではない。同人誌などの二次創作物はこの基準では大多数が「パクリ」に該当しないため、この基準は完全ではない。オマージュとパロディの違いを元ネタへのリスペクトで判断されたりするが、それも曖昧。やはり「創作的表現」を基準にするのが確実で、「他の著作物の創作的表現を複製したり一部改変しただけの創作物がパクリ、他の著作物の創作的表現を自己の創作物の中に借用したのがパロディ、他の著作物のアイディアを取り入れたのがオマージュ」である。先に述べたように、パロディは行き過ぎると著作権侵害になる可能性がある。また、オマージュは受け手が元ネタを判断できるパクリやパロディと異なり、ある著作物のアイディアと同じでも、そこに作者の意識が伴っていないと成立しない。そして、そのアイディアの元ネタは元祖に限るわけではない。乳首に残像をつけて乳房の揺れを表現する手法が『GANTZ』の奥浩哉先生発祥と知って描いているエロ漫画家は少ないだろう。ワンピースの場合は、作者は『ドラゴンボール』を敬愛していることが知られており、例えば次のシーンは『ドラゴンボール』のとあるシーンのオマージュであると受け手が考えるのは妥当である。
<56巻SBS>
パクリ議論に関係ないが、ここではパク論派が好んで引用する56巻SBSについて触れておく。
読者:ふと思ったんですが、尾田っちはいつも読者のいろんなお願いごと聞いてくれてますが、「新キャラデザイン公募」とか「君の考えた悪魔の実が誌面に登場!」とかはやらないんですか?私なら・・・そうだなあ・・・「ゲリゲリの実」とか「ブリブリの実」なんてどう!? 「ブリブリの実の快便人間!」とか良くない!?
尾田:よくないわ!! ただの健康な人じゃねェか!! ――はい、募集ねぇ。しませんねェ。いらないんですよ。よっと冷たいかも知れませんけど人のアイディアが欲しくないんですよねー。ジャンプの担当さんなど、時々代わったりしますが、新しい担当さんに最初に必ず言う事は「僕にアイディアを出すな」ですからね。人も話も全部自分で考えた!という自信が欲しいんですねー。人に頼ったらまた次も人に頼っちゃうと思いますし、失敗したら自分のせい。こういうのが好きです。あーでも本編と関係なければ欲しいアイディアあるなー。動物と麦わらの一味一人ずつの表紙。アレのネタなら欲しい。「こんな動物とこの人が何してる所描いて」とか手紙の端にでも書いといてくれたら、喜んで描いちゃうぜ。
パク論派はこの回答を引用して、「人のアイディアが欲しくない」と言っていながら、パクリまくっており、ワンピ信者はアイディアが全部オリジナルなのだと信じているなどと得意気に叩きの材料にしている。しかし、これはただの言葉狩りで、回答の主旨は「漫画作りに助言は要らない」ということである。募集してもいない「○○○○の実」などのアイディアがこれまでにSBSに大量に投稿されていたことは想像するに容易い。また、過去のSBSではパク論派が「パクリ」だと認定するキャラクターのモデルや設定のイメージについていくつか明らかにされており、この56巻SBSを引用して言葉狩りすることが自身の主張に矛盾していることにパク論派は気づいていない。なぜなら、彼らはワンピースとその作者を叩きたいだけのアンチだから。
<写真、衣服の著作権について>
◆法的観点:
上はパウリーのモデルとなったとされるHUGO BOSSの写真(詳細不明)。写真をイラスト化することは二次創作に当たるため、権利者の許可が必要になる。写真の著作権はカメラマンが有しており、その創作性は被写体のポーズや表情、全体の構図、照明の当たり具合、露光調整などに認められる。つまり、そのイラストが二次創作物に当たるかどうかは、元の写真の創作的表現をどれほど複製しているかが争点になり、丸写しならば黒、被写体のポーズや構図が同一の場合はグレーとなる。では今回の例のように被写体をキャラクター化する場合はどうなのか?被写体が著作物ならば著作権侵害に当たるが、この写真の被写体はファッションモデルと身に着けている衣服であり、どちらも著作物ではない(ただし、芸術的・革新的な衣装には著作権がみとめられる可能性はある)。問題となるのはファッションモデルの肖像権(<肖像権について>参照)と衣服1点1点の意匠権となる。意匠権とは衣服における特許であり、意匠権を有する衣服をキャラクターに着せることは意匠権の侵害に当たる可能性がある。しかし、意匠権の申請には形状や模様に新規性が要求され、一般的に審査を通ることは難しい。また、シーズン毎に新しいものに移り変わるファッションをメーカーが逐一、手数料をかけて意匠登録申請しているとは考えにくい。では、衣装のデザイン画の著作権侵害に当たるか・・・などといったことが訴えがあれば裁判で審議されることとなる。元より、許可を取っていれば問題はなく、現に裁判沙汰にはなっていない。
◆創作的観点:
図鑑の写真やファッション誌を漫画の資料にすることは、ありふれている。というのも、珍しい生物や植物、景色などは自身で取材することは難しく、漫画家はファッションデザイナーではないからである。しかし上述の通り、描いたイラストが写真に酷似している場合、権利問題になる危険性がある。
◆ファンの観点:
ワンピースにおいて、パウリーのモデルはかなり特殊な例で、確かに無許可であれば問題になりうる案件である。公式では明らかにされていないため、事実を確認するためには直接当事者に問い合わせるほか知る由もない。