ーーでも、週刊誌での連載を抱えながらの作業は困難を極めますよね。
尾田:まさにその通り。今は週刊連載で手がいっぱいだし、性格的にはいくつもの事を同時に進められるほど器用ではないので勘弁してもらえないかと、一度はお断りしたんです。でも、その熱意がすごくて…。ついにはぼくも「それじゃプロットだけは書きます」と約束してしまったんです。
ーーでは当初は、いろいろなデザインまでやる予定はなかったんですね。
尾田:はい。で、プロットに取りかかる際にぼくからも、主題歌はミスチルにしてくださいとお願いして。そのごほうびの実現を期待しつつ、プロット作りに取りかかったんです。そして完成したのが『クリスタル航海記』という副題がついた、感動のプロットで。
ーー本書にも、そのアイデアノートの一部が掲載されています。
尾田:これを作り始める時、みんながぼくに期待する事って何だろうと考えて。やっぱり『感動』なんじゃないか、泣ける物語が見たいんじゃないかと思って作ったのが『クリスタル航海記』だったんです。自分でもよくできたと思うし、そのまま映画になったとしても皆さんに十分喜んでもらえるようなものになったと思います。でも、完成した時、何かしっくりこなくて。
ーーくわしく教えていただけますか?
尾田:感動話っていうのはキャラクターの感情の盛り上がりから生まれるもので、作家が「感動」させる事を目的に話を作ってしまったら、キャラクターを押しつぶしてしまうんです。ストーリーはキャラクターが作らなきゃいけない。だから『クリスタル航海記』を書いた後、「これは本当に自分の作りたいものなのか?」という思いがどんどん大きくなっていって…。ついに、シナリオを修正する打ち合わせの席で「このプロットはやめようと思う」と、思いの丈を皆さんに話しました。自分が手がけるからには、これまでと違う新しいモノにしたいし、少年達を徹底的に喜ばせるようなワクワクできるモノを作りたいんだという話をしたら納得していただけて。
境監督は「シリーズを盛り上げるためにも、劇場版のインパクトを強く打ち出したかった」と振り返る。
その一つが、尾田自身が書き下ろしたプロットだ。とはいえ、どういう方向性で行くのか定まるまでは簡単ではなかった。当初、尾田が出してきたストーリーはナミの出生の秘密を描いたものだったという。
「ナミの過去を掘り下げる内容で、結構、衝撃的な内容でした。ああ、雰囲気が大人っぽくなったなとワクワクし、僕もアイデアを膨らませてどう構成しようかと考えている時に、尾田先生のほうから、『ちょっと大人向けの感動作になりすぎちゃった。もっと、少年少女がワクワクするように修正したい』と意見が出てきた。僕としては、『え?すごく面白いのに』と思ったのですが、新しく上がってきたプロットにすごく納得してワクワクしました。今考えると、主要キャラクターの秘密という要素を出すのにはちょっと時期が早過ぎたのかもしれません。とにかく、そういうことであればじゃんじゃんクリーチャーを描いてくださいとお願いしたら、こちらの予想以上にたくさんのクリーチャーが返ってきて、それらを全部、出すのが大変な作業になりました(笑)。アリがサメを食べる面白い描写は尾田先生のアイデアですね」
まずは尾田との出会いから。フジテレビでTVアニメ版のオンエアが始まったのは99年10月20日。初めての打ち合わせは7月で、製作期間は3ヵ月ほどしかなかったという。
「このとき、尾田さんには、注文といいますか、二つだけ言われました。ひとつは『僕は言葉にこだわっています。ルフィの決め台詞も、普通の文法なら”俺は海賊王になる”になるけれど、『ワンピース』では”海賊王に、俺がなる”となっている。そういう細かいニュアンスに気を遣っているんです』と。もうひとつは『僕はスウェーデンの音楽が好きです』。まあ、当時好きだった音楽があったんでしょうね(笑)。『要するに、僕はいろいろこだわっているんです。よろしく』と。処女作がアニメになるので、気負いもあるし、プロデューサーなる者に初めて会うので、気張って自分の姿勢を話したんでしょうね」
そこからどうやって、信頼関係を築き上げていったのだろう?
「アニメの製作が始まると、原作者には、さまざまな事情で、不承不承でもOKしてもらわなくてはいけない事例がもちあがります。そのたびに、喧嘩ではなく、言葉を重ね合ううちに、信頼関係が出来上がっていった。尾田さんの性格もありますが、いろいろやり取りして、『わかりました、任せました』というと、そこから先はパーンっと全部こちらの主張をOKしてくれる。そうすると、アニメスタッフ側も一生懸命やるしかないという気になるじゃないですか」
『OP』は水曜日夜7時の枠でのオンエアだった。これは11年にわたって平均視聴率が20%を超えた『ドラゴンボール』『ドラゴンボールZ』『ドラゴンボールGT』のフジテレビの看板ともいえる枠。それを受け継いだ『OP』チームのプレッシャーは大きかったと想像したが、清水曰く、「とにかく各話、仕上げることに必死だったので、視聴率を気にする暇もなかった」と述懐する。
「期待の作品でしたから、集英社の担当さんからもダメ出しがたくさんきた。浅田さんという担当が厳しくて、アニメのこの部分は原作と違う、原作と同じようにしてくれと主張してくる。原作の意図を反映させるには、アニメでは原作を変えて表現しなくてはいけないんだとスタッフも主張があるんです。密度の濃い日々でしたね。浅田さんとはそれから仲良くなって、担当を外れてからも、一緒に芝居を勉強したいという彼の言葉を受けて、舞台を見に行っては打ち上げに参加して、解散してからも二人で朝まで飲むようなことを毎週繰り返していました。バカですね」
ーーそのような経緯でスタッフが決まったあと、先生と清水さん、宇田さんの間でどのような打ち合わせが行われたんですか?
清水:声優さんを決めるときに打ち合わせ…ま、お酒を飲みながらですけれど…そこで意見を交わしたんですが…。
尾田:あれは熱かったですね〜(笑)
清水:でも、そんな話し合いの中で「尾田さんはちゃんと自分の意見も言ってくれるし、こちらの意見も尊重してくれる方なんだ」ということが解った。
尾田:僕はアニメの世界のことに関しては全然解らないし、アニメの売り出し方とかも解らないから、その辺、最初は不安もありましたよ。まず、どこまで作品のことを考えくれる人たちなのかってのが解らないし…。だから「言えるだけのことは言おう」って、最初から気張ってました。実際、いい人たちでホント良かったです。