ワンピースのキャラたちの名前の由来を探る新企画。
ワンピース探訪。・・・名前なんてなんだっていいのさ。。
※すでにSBSで由来が明かされてないものも予想で紹介していきますが、結果間違ってても許してね☆
誕生日企画や最新話などで名前の由来の話はちょくちょく記事にしているのですが(ネタとしておもしろいのでね)、本腰を入れようかなと思いまして立ち上げました。
本気を出した手前、第1回はいきなり
由来が海賊ではない白ひげ海賊団1番隊隊長
マルコです。
マルコは由来がまだ明かされてないと思うのですが、どう考えてもこの人の他はいないだろうと・・・
ズバリ!
マルコ・パンターニ(Marco Pantani)です。
・イタリアの超有名なロードレーサー
・タイプはクライマー(←登山レースに強い)
・
バンダナ&
スキンヘッドに
アゴ髭
・その容姿から愛称は「
海賊(Pirata;イタリア語
ピラータ)」
ね?
だいたい、あってる。
こんな本あります。
『マルコ・パンターニ 海賊(ピラータ)の生と死』ベッペ・コンティ 工藤知子訳
本の左上に着目
海賊旗まであるんかいw
本人も海賊(ピラータ)の愛称は気に入っていたようです。
左)歌手オリエッタ・ベルティ
個性的な容姿から「
海賊」の名で愛された彼ですが、レースに対する求道的な姿勢から「
走る哲学者」とも言われました。
求道的ってどんな精神かというと、彼の名言からうかがえます。
山岳でなぜそんなに速く走ることができるのかと聞かれて
「一秒でも早くこの苦しさから解放されたいからさ」
「苦しい事は早く終わらせたいから速く山を登るのさ」
登山家はそこに山があるから登ると言いますが、それが試練になっているということなんでしょうか・・・私は登山家でもないし、ロードレーサーでもないので気持ちが全然分かりません・・;
語尾を変えたら理解できるかも、、
「一秒でも早くこの苦しさから解放されたいからだよい」
「苦しい事は早く終わらせたいから速く山を登るんだよい」
・・・無理でした・。・
起伏で一気に順位を上げるのがマルコのレース展開でした。
平地では集団後方でくっついていることに対して、彼のコーチはいつも「前に出ろ!」と言っていました。
これについてマルコは
「でもね、僕はこうして楽しんでいるんだよ。ライバルたちの後輪につけて、その苦しむ様子を見ていたい。
連中が坂道でもがくのを見ていたいんだ。
そしていよいよ僕が追い上げを開始して、連中がどんどん千切れていくのをね」
・・・こんな調子です。
名前と容姿、そして愛称「海賊」。
実は
マルコの能力にもマルコ・パンターニは深い関わりがあります。
マルコ・パンターニはとっても不運な人なのです。
※ツール・ド・フランスは有名ですが、他なんやらいろいろ書いてるの全部レース名です。
1992 プロデビュー
1993 ジロ・デ・イタリア総合2位、ツール・ド・フランス総合3位、最優秀若手選手賞獲得
1995 トレーニング中、
信号無視の車にはねられジロ・デ・イタリア欠場
しかし同年、ツール・ド・フランスで2勝、最優秀若手選手賞獲得、世界選手権3位
でもでもその直後、
レース中にコースに出てきた車と正面衝突し選手生命に関わる大ケガを負う
1996 リハビリとトレーニングの日々
1997 フレーシュ・ワロンヌ5位、リエージュ~バストーニュ~リエージュ8位と好成績を収める
しかし同年、ジロ・デ・イタリアレース中、
飛び出した猫をかわそうとした選手たちの落者に巻き込まれリタイア
でもでもその後、ツール・ド・フランス第13ステージ最短登頂記録で優勝、総合3位
1998 ジロ・デ・イタリア総合優勝、ツール・ド・フランス総合優勝→ダブルツール達成
1999 ジロ・デ・イタリアステージ4勝し、総合優勝目前で抜き打ちの
メディカルチェックに引っ掛かり出場停止
(ドーピング疑惑の発端) 同年はレースに出場せず
2000 ジロ・デ・イタリア総合28位で復帰、ツール・ド・フランスステージ2勝するが
途中棄権
2001
ドーピング疑惑が再燃、本人は薬物使用を否定するも2003年3月まで出場停止処分
2003 ジロ・デ・イタリア総合14位
プロデビュー前のレースでも何度か事故にあっており、車に衝突して鼻の骨や鎖骨を折ったりしています。
また自動車の運転中に、後ろから突っ込む車を避けようとして正面の塀に激突して足の骨を折っています。
このように
有り得ないくらい何度も逆境に立たされながら、その度見事な復活をとげる。。
その姿はまさに
不死鳥の如く。
とりわけ、1997年の最短記録登頂で大ケガから奇跡の復活をしたのは印象深く、
マルコはこのレースを振り返って
「あの上りは、ひたすら前に進むだけだった。
路面を見ることさえなかった。みんなが僕を導いてくれたんだ。
彼らは僕にすれすれまで近づくと、さっと離れ、僕を通し、行く手を指し示してくれた。
僕はほとんど何も見えないまま、あの群衆の中を走っていた。
彼らは僕の前でさっと道を開け、僕を励まし、僕を後押しし、僕に新たな力を与えてくれたんだ。
なんとも言えない、気分だったよ。本当に独特な、素晴らしい気分だった。」
2004年、マルコは突然亡くなります。― 享年34歳。
ドーピング疑惑の中、元々神経質だった彼は精神的に不安定な状態になっていき、コカインを常用するようになったようです。死因はコカインのオーバードーズ(過剰摂取)でした。
―そして、不死鳥は二度と蘇りませんでした―
最後に彼のパスポートの余白に9ページにわたって書かれていた遺言めいた文章を紹介します。
これは彼の葬儀でも読み上げられました。
僕はいわれのない辱めを受けてきた。この4年間、僕はありとあらゆる裁判所に出かけた。僕だけが、他の多くのスポーツ選手と同じでありたいという望みを失った。しかし自転車界は大きな代償を払った。また多くの若者たちは正義への希望を失ってしまった。
そして僕は今こうして自分のパスポートに真実を記すことで自分自身を苦しめている。だがそれは僕の同僚選手たちが皆、辱めを受けていることを世界に分かってもらうためだ。テレビの隠しカメラが部屋の中まで入り込み、彼らの家庭を破壊しようとしていることを。そんなことがあれば、どうして自分を傷つけずにすむだろうか?
こんな場合、怒りのはけ口をどこに求めたらいいのか分からない。僕が間違いを犯したというならその証拠が知りたい。スポーツ選手としての僕の生活、とりわけプライベートな生活が侵害され、僕は多くのものを失った。
このキューバという国にて、僕は言いたい、「勝利の日まで」というスローガンはスポーツ選手にとっては大いなる目標となる、と。
だが、数々の事故や不運にもめげず一つのスポーツに心を捧げることは実に困難なことなのだ。それでも僕はいつも立ち直って来た。しかし、結局残ったものと言えば、ただ、信頼を裏切る司法というものの暴力に対する悲しみと怒りだけだった。だが僕の話は他のスポーツにとっても一つの実例となってほしいものだ。ルールは結構だ。しかし、それは全てのものにとって公平なルールでなければならない。
いったい血を採られなければ成り立たない職業というものがあるだろうか?
夜中に選手の家庭に押しかけてまで検査しなければならない職業というものが?
テレビカメラで自宅やホテルを監視されては、僕はもう平静ではいられない。僕のプライバシーも、僕の彼女のプライバシーも、また他の選手たちのプライバシーも、踏みにじってしまうのだ。そうして無茶苦茶にされた家庭の話はいっぱいある。だが、一人の自転車選手とはどういうものかを見てほしい。そしていったい何人の男たちが深い悲しみに沈みこんでいるかを。男としての夢を抱いて復帰しようとして、その夢をドラッグで台無しにしてしまった男たち。だが僕のスポーツ選手としての人生が終わってしまった後では・・・。
少しでも人間らしさがあれば、希望を与えるものとは何かを理解できるだろうし、またそれを探そうとするだろう。真の過ちを犯すことで自分を理解するということ、君に心を捧げた者のために闘うということを。
このパスポートに書かれたことは真実だ。僕の望むところは、男であれ女であれ、本物の人間にこれを読んでほしい、そして、全てのスポーツ選手に対して公平なルールを、と世界に向けて叫ばざるを得ないこの僕の味方になってほしい、ということだ。僕は嘘つきなんかじゃない。
僕は傷つけられた。そして僕を信じてくれる全ての若者は、そのことを皆に話してもらいたい。