「ルフィというのは歌舞伎でよく言う〝発散のしどころのない役〟なんです。人を殺してはいけないという設定があるので立廻りで思いきったことができませんし、武器を持たない素手での闘いというのも 歌舞伎の主人公としては異例です。イワンコフのせりふにあるように、ルフィが周囲の人をどんどん巻き込みながら展開していく物語ということもあって、存在の仕方が非常に難しいんです」
確かに舞台でのあり様は、身体能力を発揮して強烈な個性を表現しているボン・クレーや、存在感たっぷりの描かれ方でせりふの聞かせどころもある白ひげなどとは、明らかに異なっている。
「ハンコックはルフィとの対比を早替りで見せるために存在している部分が大きく、シャンクスはいわゆる留め男。3役を通して舞台に出ているトータルの時間は長いけれど、演じ甲斐という点においては、どこかとりとめがない部分があるんです」
留め男とは重要な登場人物の喧嘩に割って入り、それを収める役のことだ。
圧倒的存在感で注目を集めたのがボン・クレーだ。ビジュアルを含めたキャラの再現ぶりや物語を盛り上げる心情的見せ場に身体性を発揮してのパフォーマンスと、第二幕を余すところなく盛り上げていた。圧巻は本水の立廻りから〝オカマ六方〟による花道の引っ込みへと続く一連の場面。
「オカマ六方とかいわれていますが、衣装と音楽が奇抜なだけで基本は歌舞伎に昔からある〝飛六方〟をやっているに過ぎないんです。だから、あくまでも歌舞伎をやって来た身体で表現しているだけ。そして嬉しかったのは本水の立廻りに『能力者なのに』というツッコミがなかったことです。理屈を超えて純粋にあの場面を楽しんでいただけたということになりますから」
ボン・クレーもイナズマも彼らに立ちふさがるマゼランも〝悪魔の実の能力者〟、つまり水に浸かったら力を発揮できなくなるというキャラ設定なのだ。その大前提を覆し舞台と客席とが一体となったあの盛り上がりは、体感した者にしかわからない醍醐味だ。
「ボンちゃんの目の周辺の色って基本的には緑ですよね。でもインペルダウンの頃のコミックスの表紙(55巻)を見ると赤なんです(※ブログ注:緑はアニメカラー、原作カラーは赤紫)。そして歌舞伎的に考えるとまさに赤のキャラ」
歌舞伎の隈取には色に意味があり、赤は正義を表している。わが身を犠牲にしてルフィたちを海底監獄から脱出させるボン・クレーにふさわしい色ではないか!
本水の後に花道を引っ込むのは、『新・三国志』で僕が演じて当たった演出だ。台本には「花道、六方にて引っ込み」と記されているだけ。看守を挑発するしぐさは巳之助さんが考えたもので、音楽も彼が音源を作成してイメージを伝え、僕の「拍手をかっさらって」という期待にみごとに応えてくれた。
一味の名のりは歌舞伎の『白波五人男』風に。それを階段のついた台の上でやる。チョッパーはパペットにしてウソップが持って出ることに。それが消えると台のなかから人間となって突然現れる。これは古典でいつもやっている『四の切』の応用だ。
「舞台で描かれている物語の段階ではサンジの左の眉毛がどうなっているのか、読者は誰も知らなかったわけですよね。だから激しく動いても左目や眉が見えないように、前髪を重くしてもらいました」
物語がずっと先まで進んだ今でこそ、みんな知っている左眉も「敢えて描かない」という徹底ぶり。そしてそのこだわりはもう一役のイナズマにも表れる。
「イナズマの鬘は最初、黒髪に金のメッシュが入ったものだったんです。でも原作では真ん中で色がはっきり分かれたビジュアルになっています。なので、黒と金髪が半々の鬘にしていただきました」
そのビジュアルに象徴されるようにイナズマは性別を超えたキャラ。ニューカマーランドで舞台に出現した折には、それを意識した手の表現で女性の部分も垣間見せている。
もう一役のマリーゴールドはキングコブラをモデルとするキャラクターで、原作の絵のイメージから「最初は着ぐるみでやるのかと思った(笑)」そうだ。
「脚本・演出の横内先生がおっしゃるには『叶姉妹のイメージ』。ということは派手でグラマーな女性。ロビンも相当にナイスバディですが、それを男の私がやらなければならないのですからかなり試行錯誤しました」
ビーズのクッションを改造して工夫した結果、実現したのがあのプロポーションだった。ゴージャスな舞台装置に彩られた劇空間に生息する彼女たちは、生身の女性が演じる女性とはまた違った雰囲気を醸し出す。
「特に今回のような、実際には実在しない、普通の人間ではない特異なキャラは、歌舞伎の女方が演じる女性だから乗り越えられるところがあるのかもしれません。男性であるがゆえに妙に生々しくならないということもあるでしょうし」
ナミを演じることになってまず思ったのは「あのウエストにはなれない(笑)」だったそうだ。
「私たちがすべきは歌舞伎という誇張した演劇だからこそ!の表現で、大前提としてキワモノになってはいけない。幸いなことに私の衣装はお着物でしたので助かりました。髪型も最初はもっと原作に近いものだったのですが、尾田先生がお描きなった着物姿のイラストを拝見して、それを取り入れさせていただきました」
〝ベリー〟という『ONE PIECE』の世界で使われている通貨記号やコンパスがデザインされた衣装は、手の込んだ刺繍が施された豪華な一着。おしゃれでお金に目がないナミの性格や航海士という一味のなかの役割が見事に表れている。
「こういう遊び心のあるモチーフを使った衣装で役柄の個性を表すのは、歌舞伎の特徴のひとつでもあるんです」
『ONE PIECE』には独自の特徴ある喋り方をするキャラクターが多数存在するが、ニョン婆もそのひとりだ。語尾に〝ニョ〟がつくのである。
「そういう世界観がわからなくて……。真面目な話をしている時に突然〝ニョ〟と言うのは何だかウケ狙いみたいな感じがしてしまいまして。(脚本の)横内先生がポイントとなるところだけにしてくださったので助かりました。ところがやっているうちに〝ニョ〟を使った方が、お客様が自然にご覧いただけるような雰囲気にだんだん変わっていきましてね。自分自身もその方が面白いと思えるようになりました」
その結果、語尾の〝ニョ〟が増えることに。
「『ワンピース』に出ると決まった途端に(中村)勘九郎さんや七之助さんご兄弟に『絶対、ジンベエだよ』と言われたことがあるんです。当時は原作に関する知識はほとんどありませんでしたので、それが誰なのかもわからず何を言っているんだろう?くらいに思っていたんですが……」
蓋を開けてみたらまさしくその通り!キャラクターとそれを演じる俳優そのものと、それぞれの個性をよく知る者なら誰もが納得するキャスティングだ。
「もうびっくりすると同時に、漫画好きな人の間ではすごく浸透しているキャラクターなのだということを知りました」
そしてもう一役の黒ひげと共に漫画やアニメのDVDで〝勉強〟することに。幸いにもそうした資料は稽古場に用意され、ちょっとした合間に調べることができたという。
「不思議な稽古場でしたよ。『ONE PIECE』とは無縁に生きてきた人が、急に漫画読んだりアニメ見たりしているんですから。でもそのおかげでだんだんイメージが湧いてきました。出演者やスタッフのなかにはすごく詳しい人もいて、聞けば2人とも身長が3メートル以上あるというじゃないですか。165センチしかない自分にファンは納得するのだろうかと思いました。最初のうちはそれが気になってしまって」
東京公演中に大阪と福岡での公演が決まった。そこでさっそくいくつかの要望をスタッフに伝えた。そのひとつが第一幕の幕切れだった。
「幕切れのハンコックの衣装をもっと豪華にしたい。衣装というよりセットのなかに入りたい」
イメージは紅白の小林幸子さん。『カグヤ』の日輪の女神に拠った初演の衣装もそれなりの反響はあったけれど、『カグヤ』上演時の感覚とはやっぱり違う。物足りない。そう思ってしまったのだ。
——大阪公演の際にまず驚いたのは、第一幕ラストのハンコックでした。
初演のハンコックは『カグヤ』の日輪の女神をイメージしてのことでした。『カグヤ』の時代はあれで十分インパクトがあったと思うのですが、今の感覚だとやはり物足りないと思ってしまったのです。それで思い浮かんだのが〝紅白〟の小林幸子さんでした。
——舞台いっぱいに広がるドレスに、客席からは感嘆の声が上がりました。
それも小林さんのあのイメージが広く浸透しているからこそ、です。小林さんはスーパー歌舞伎に影響を受けられて、あのような豪華な衣装を考案なさるようになったと聞いています。それを今度は逆輸入したことになります。
(演劇界 2017年11月号)
小林幸子 紅白豪華衣装の原点はスーパー歌舞伎 三代目猿之助に直談判で実現
歌手の小林幸子(62)が5日、TBS系トーク番組「サワコの朝」(土曜、前7・30)に出演。大みそかの「NHK紅白歌合戦」でおなじみの豪華衣装について語った。
小林の代名詞でもある衣装は、歌舞伎俳優・三代目市川猿之助(現・市川猿翁)のスーパー歌舞伎に着想を得たという。「スーパー歌舞伎を見て、目からうろこで。すばらしいと思って」。知人を通じて猿之助の楽屋を訪ね、「コスチュームデザイナーの方を紹介していただけませんか」と直談判した。
スーパー歌舞伎では役者が宙づりになって演技をする「宙乗り」も見せ場の1つ。これについても「(私も)宙乗りもしたい」と伝えた。猿之助は快諾したといい「懐が広くって。感謝してもしきれない」と振り返った。
豪華衣装の費用について話が及ぶと、持ちだしであると説明。「(衣装)そのもの自体はあまりかかってない」としながらも「人件費と倉庫と運搬費。衣装なのに運搬費って」と笑いながら明かした。豪華衣装についての賛否両論は知りながらも「(観客が)笑顔になってもらえるんだったら私はもうそれでいいと思ってる」と話した。
小林は1979年、25歳の時に「紅白歌合戦」初出場。以来2011年まで33回連続で出場した。その後3年間は出場がなかったが15年に「特別枠」で4年ぶりに紅白のステージに復帰した。
(デイリースポーツ)
2015年の新橋演舞場での初演時で85歳という出演者最年長のベテランが演じたのは、アバロ・ピサロ。キャラクターはもちろん、原作もアニメもそれまでまったく無縁のものだった。
「スーパー歌舞伎で『ONE PIECE』をやることが決まったら、いろんな人が『ぜひ、観に行きたい』と連絡をくれましてね。僕が演じる役の絵やグッズを送ってくれました」
兄エースをを探してルフィがインペルダウンにやって来たところが登場シーンとなる。
「若旦那(=猿之助のルフィ)が来るまでは寝ているんですが、最初は普通に仰向けにしていたんです。でも待てよ、と思って、身体をなるべく見せないように工夫して後ろ向きで腕枕をするようにしました。いぎたないって言葉がありますでしょ?そういう感じで、きっちりせずにだらしなくするようにしました」
そして生演奏の太鼓の音と共に登場となる。
「起き上がって前を向いて背伸びをするんですが、上に挙げた手をただ下ろすだけじゃつまらない。それで腰に持っていったら若旦那がそこで見得をしようとおっしゃいまして。『毛剃』というお芝居に〝汐見の見得〟というのがあるんですが、そんな感じでやることになりました」
稽古場でのアドリブから発展してお馴染みとなった場面がある。歌舞伎『伽羅先代萩』の政岡を模したところだ。
「ちゃんと台本に『でかしゃった』って書いてあるんです。そう書いてあるなら……ということでやっただけで。そうしたらみんなが面白がってくれて、猿之助さんがちゃんとした伴奏をつけようと言い出したんです。でも間の取り方が難しくて、なかなかうまくいかないわけですよ。すると後ろでクスクス笑っているのが聞こえるんです。で、悔しいから頑張ろうと(笑)」
ただ困ったのはパンツルックだったことだそうだ。
「いつも着物ですから女方のお役は内股が大前提。でも、それではパンツだと格好がつかないんです」
歌舞伎の立役でも女方でもない、舞台でのあり様を求めてたどり着いたのは出演者全員が女性である宝塚歌劇団だった。
「宝塚の男役さんが演じる男性というのは現実の男性とは違います。男性を演じている女性が舞台で格好よく見えるようにできています。まさに歌舞伎の女方の逆で、宝塚の歴史の中で蓄積された技術というものがあるのだと改めて実感しました」
舞台稽古で感じた不安は初日の盛り上がりがすべて払拭してくれ、開いてみると今度は嬉しい驚きがあった。
「それまでまったく『ONE PIECE』のことを知らなかった、いつもご贔屓にしていただいているお客様がすっかり『ワンピース』のファンになられて。もう本当に何度もお越しくださったんです」
その数、ナント!2か月の東京公演で36回!!リピーター率が高かったのはこの舞台のひとつの特徴だった。
「タコの口をどう表現するかに意識が行き過ぎて、顔がなかなか決まりませんでした。本当にギリギリになって四代目から『悪太郎にしてみたら?』という一言をいただき、ようやく落ち着きました」
悪太郎とは市川猿之助家に伝わる舞踊『悪太郎』の主人公のことで、その化粧を取り入れたのだ。
「(衣裳のデザインは)猿之助さんとのキャッチボールを繰り返しながら決まっていったのですが、イナズマは森蘭丸とおっしゃったのでそこから革命ということで天草四郎をイメージしました。本水に入る役は水濡れ用に乾きやすいものを別に用意しています。水圧で脱げやすいなど具体的なアドバイスもいただきました。センゴクの帽子は「秦の始皇帝で」という要望でしたので、そこにフランスっぽさを加えてみました。」
原作にはない場面として描かれるのが生死の境を彷徨うルフィが見る幻影だ。治療を受けたルフィは白い衣裳に白の病鉢巻。これは『ヤマトタケル』での傷ついたタケルのイメージを踏襲している。病鉢巻はその名の通り人物が病であることを表す歌舞伎の約束事。ここで活躍するのが子役のチョッパーで、博多座での初演を目前にしてみんなでお花見をした時に竹田さんが桜の演出を提案してくれた。原作ファンには喜んでもらえ、さらに美しいシーンに。
本水から宙乗りの場面へ。スペクタクルの連続となるこの流れは今までになかったことだ。技術的にそれをどうクリアするかに加えて、宙乗りをどう見せるかが問題だった。原作尊重ならば猿弥さんのジンベエに僕が乗ることになるけど、それではちょっと滑稽だ。そんな時、スタッフのひとりが見ていたライブ映像でサザンオールスターズの桑田佳祐さんがサーフボードに乗っている姿を発見。これだ!ということになったのだ。
「ミュージカルなどのウィッグと違って歌舞伎の鬘は土台が地金で、今回はその両方の鬘が混在する形になりました。ですから歌舞伎の鬘屋さんといつも僕らがお願いしている鬘屋さんと、その住み分けが大変でした。
それ以前の問題としてまずデザインを決めなければなりませんが、猿之助さんは最初もっと歌舞伎よりのものを考えていらっしゃいました。具体的な歌舞伎の役名を示して説明なさるのですが、そもそもそれがどういうものなのかわからず、伝統の奥深さを知るにつけ自分にはできないかもしれない、と思ったこともありました。
〝麦わらの一味〟には明確な色のイメージがありますし、原作に詳しい巳之助さんには独特のこだわりがありました。ゾロが決まるとサンジのあるべき姿も見えてきて、だんだん歌舞伎色が薄れていく中で、次第に方向性が定まっていきました。
自分たちにとっても歌舞伎の鬘屋さんにとっても刺激的な現場で、だんだん「こういうのは経験ないけどやってみたい」というように、みんなで挑戦していいものをつくろうという空気が芽生えていきました。ジンベエのもみあげの飾りは歌舞伎の鬘屋さんが付け加えてくださったもので、面白いアイディアだと思いました。」
「歌舞伎の役者さんに洋舞を振り付けるというのは初めてで、日本舞踊とは身体の動かし方が違う中で根本的な部分をどうお伝えすればいいのか。それがまず大変でした。
特に女方さんの場合は内股が基本ですが洋舞は逆。真逆のことを体現するわけですから、ご苦労が多かったことと思います。そこでそれをどう摺り寄せるかという点で心強い存在だったのが尾上菊之丞先生です。日本舞踊には存在しないカウントという概念を〝翻訳〟し、全体でどう見せていくかなど様々なアイデアをくださって、本当に助けていただきました。」
「洋舞を主体とする舞台で、自分の役割は穴井豪さんが振り付けたダンスを歌舞伎役者の身体で表現するための〝翻訳〟をすることがまずひとつ。それから全体のステージング、さまざまなバランスを俯瞰で見て猿之助さんの手伝いをする、というものでした。」
「根本的な身体の使い方が違いますから、歌舞伎役者はダンサーのようには動けないわけですが、その違いがまた逆に面白いのだとも思います。ですから、元々持っている素地を生かしてどう見ていくか、そのコード変換の手がかりはちょっとしたところにあったりします。「ワン、ツー、スリー」というカウントを「ひぃ、ふぅ、みぃ」と言い方を変えるだけで急に身体に馴染んでくるとか。身体に染み付いてしまっているがゆえに違和感を抱いているところを見つけては、それを取り除くという作業でした。
北川:観に行って驚いたのは、『TETOTE』が流れるルフィの宙乗りの場面でみんなが客席から立ち上がって一緒に歌ってくれていたことです。しかも若い人だけでなく、それこそご年配の方までまるで少女のような笑顔で!あれには感動しました。
猿之助:で、いつしか〝ファーファータイム〟と呼ばれるようになって。
北川:歌舞伎は素人の僕から見ても、もしかしたら怒られるんじゃないかと思うようなことが起きていた。だけどそこにいる人は誰もがすごく楽しそうで。これまでなら考えられなかったようなことを猿之助さんはやってのけられたわけで、それは文字通り型破りではあるんだけれど、力いっぱい壊して新しいものをつくるすごさというものを感じました。
猿之助:その一方で実は原点に立ち返ったともいえるんです。歌舞伎には流行歌や最新の音楽を取り入れて進化してきた歴史があって、三味線だって江戸時代においては海外にルーツがある新しい楽器だったわけだから。
北川:そうだったんですね。
猿之助:歌舞伎はそうやって最新の音楽、歌と密接な関係にあったのに、いつしか歌の部分だけが取り残されてしまったようなところが実はあるんです。その忘れ去られた〝歌〟を『ワンピース』ではようやく取り入れることができたともいえる。そして改めて歌というもののすごさを実感させていただくことができました。壊すことで、本来の歌舞伎になれたんです。
尾田:不思議な説得力を感じました。キャラクターとか衣裳に対してみんなが抱いている印象のラインをうまく外さずに表現してくれているから、あぁ、こう来るんだあ、とすごく納得してしまう。
猿之助:どんな人物なのかを視覚的に表現するというのは、歌舞伎では昔からやっていることなんです。
尾田:そこですよね。表面的なことではなくて。そこが歌舞伎の素晴らしさなんでしょうね。
猿之助:例えば赤犬の嘉島さんは赤い隈を取っていますよね。赤は歌舞伎では正義なんです。
尾田:そういうルールがいっぱいありますよね。
猿之助:主人公のルフィから見れば赤犬は敵になるわけだから、歌舞伎本来のルールに従えば茶とか青になるべきなんです。なぜ赤にしたかというと、赤犬は自分が正義だと思っている。これは今までの歌舞伎にはなかったことで、悪には悪の論理があって自分たちが正しいと思っている。で、正しいと正しいがぶつかるから戦争になる。そこをやりたかったんです。
尾田:それは『ONE PIECE』のひとつのテーマでもあるんです。だって海賊が主人公なわけだから、正義を語り始めたらややこしいことになる。単純に言って正義の裏側は悪ではなくて、もうひとつの正義と位置づけるしかないんです。
尾田:僕が観たのは新橋演舞場での東京初演でしたが、博多座(2016年4月上演)で上演された舞台の記録映像を観せてもらったら、すっごい変わっていた!あんなふうに変わるものなんですね。
猿之助:変わり方どうでした?
尾田:素晴らしかったです。
猿之助:やっぱりね、稽古場で自分たちでやっているだけでは、わからないことはけっこうあるんです。東京公演はとにかく蓋開けてみなければ、という感じでしたから。で、実際にやっていくうちにここの説明的なせりふはなくても通じるというようなこともだんだんわかっていく。大物キャラだから出しておいたほうがいいだろうと思って初演では登場していたレイリーとガープが、博多の前の月に上演した大阪松竹座からいなくなったのもそういうことなんです。もうね、わかんなかったら漫画読んでくださいってね(笑)。そうやっていったら風通しがよくなった。
尾田:それって昔の少年漫画の考え方でもあって、キャラクターのバックボーンをほりさげないというのがひとつのルールになっていたんです。今そこにいるキャラクターを自分がどう感じるかということが大事であって、そうやって読んでいくものだったんです。で、『ONE PIECE』はそれに逆行するために回想シーンを多くしたんです。ところが今度はそれが主流になってきちゃっている。だから主流にならなくていいのになあと思いながらやっているんですけどね。
猿之助:漫画にも変遷があるんですね。歌舞伎も現在に至るまでにはいろんな歴史を辿ってきている。だからそういう根っこのところも同じなんですね。稽古場にはずっと漫画が置いてあったんですけど、そうすると自分の演じるキャラクターについて全然知らなかった年輩の役者さんたちが気になって読むわけですよ。そのうちなんだか詳しくなっちゃって、「原作はこうなっているから僕はこうやりたい」とか言い出すようになった(笑)。キャラクターを愛しはじめたんですね。若い子たちはもちろん作品もキャラも大好きだし。その様子を見ながらこの現場は勝手に進んでいくなあ、と思ったんです。
尾田:『ONE PIECE』ってよく「どん!」って擬音を使ってますが、あれは和太鼓のイメージなんです。その「どん!」に実際に音が入って、舞台で役者が見得を切ると適確な拍手が入ってわーっと盛り上がる。歌舞伎って本当にみんなでつくっている感じがして、あの一体感はすごく気持ちいいですね。