第4回は斧手のモーガンのモデルであるヘンリー・モーガンです。
キャッチフレーズをつけるとすれば、「海賊を裏切った海賊」で、海賊を討伐する側から海賊になり最後は絞首刑で死んだキャプテン・キッド(近々探訪予定)とは全く逆の人生を送ったという点で大変興味深いです。
ヘンリー・モーガン
(海賊稼業から足を洗った40代ごろの肖像。豪華な衣装に身を包むワイルドな男)
モーガンら、カリブ海で暴れた海賊たちはバッカニアと呼ばれます。
・縄で縛って棒で打ちのめす
・燃える火縄を指の間に入れ火あぶりにする
・縄で頭を締め上げる(目玉が飛び出す者もいたそうです)
・縄でつるし足に重い石をぶら下げ、燃える椰子の葉で顔をあぶる
・逆さに吊るして鞭で打ち、耳と鼻を切り落として、藁で顔面を焼く
男女の区別なく聖職者にも拷問は行われ、まるでスポーツのように拷問を楽しむ彼らは、財宝を持たない黒人奴隷にも拷問をしたらしいです。
また捕らえられた女性は海賊の慰み者にされました。パナマでは尼僧も餌食になりました。
新入りを面接するモーガン(かっけーw)
1663年から1671年までに主な遠征を4度行い、最後のパナマ遠征は最大の規模で収穫は約40万ペソ(約10万ポンド;当時は莫大な額です)に達しましたのですが、最後の遠征と前後してイギリスは再びスペインと和解し、ついには和平条約が結ばれ、新しく赴任した総督によって海賊行為は取り締まられました。
この辺の詳細はオランダ、フランスとの制海権争いが絡んでややこしいのでまた割愛です。
モーガンの動きだけ箇条書きに示しますと、
・スペイン政府に対する建前で形式的にロンドンに召喚される
・ロンドン市内に暮らす
・ナイトの称号を与えられる
【エピソード】
叙勲に先立って謁見を許されたモーガンに、無類の女好きのチャールズ2世はパナマで修道尼を手籠めにした時の感想を尋ね、モーガンは答えました。
「なんと修道尼の半数はすでに処女ではありませんでした」
その返事に国王は満足したとのことです。なんじゃそりゃw
<朕(ちん)は満足じゃ。
チャールズ2世
・ジャマイカ島の海軍提督に任命され、ジャマイカ島へ戻る
・ジャマイカ島総督代行
モーガン周囲に政略的な動きがかなりあるのですが、説明していられないので端折りまくってます。初見だとわけ分からないかもしれませんが勘弁してください。詳しく知りたい方はこちら(↓)の本がお勧めです。
『カリブ海の海賊 ヘンリー・モーガン -海賊を裏切った海賊-』 増田善郎
要は、海賊棟梁であったモーガンがジャマイカ島代理総督、海軍提督、ポート・ロイヤル(ジャマイカ島の港町)連隊長、海事裁判所長、治安判事となり、権力の一切を手中にしたということです。
そしてモーガンが「海賊を裏切った海賊」と呼ばれるのは、海賊の棟梁であった彼が今度は海賊を厳しく取り締まったからです。
ある日、海賊船が停泊していると報告を受けるとモーガンは船長と乗組員を招待し、翌朝になるとすっかり油断した彼らを逮捕し、即座に全員絞首刑にしてしまったそうです。
とはいえモーガンには政敵が多く、この「黄金の時代」は3年ほどで終わりました。
その数年後、モーガンは失意の中、元より酒に入り浸りだったことが原因で体を悪くして亡くなりました。
子供がいなかったモーガンですが、死期が迫っているのを知っていた彼は妻と甥や姪に莫大な財産を相続させる遺書を作り終えていましたとさ。
ドレークやホーキンズ、バッカニア、また次の世代の大海賊たちのほとんどが洋上で死すか、絞首刑となって死んでいるのに対し、ベッドの上で息をひきとったモーガンは対照的で面白いです。
最後にモーガンの人と為りがわかる有名なエピソードを紹介。
題して「モーガン、出版社を訴える」です。
バジル・ホーキンスの由来であるバジル・リングローズは、教養のあったバッカニアで、バーソロミュー・シャープと一緒に周航して、その航海日記を詳細に書き留めていたというのは前回述べたとおりですが、こういった者たちの中で最も有名なのが『アメリカのバッカニア』を著したアレクサンデル・エスケメリングです。
彼はこの大作を書くにあたって航海者の話を集めましたが、自身はモーガンの船に乗っていたのです。
『アメリカのバッカニア』は英語版で2つの出版社から発売され、発売と同時にベストセラーになりました。
モーガンはこの本を読んで激怒し、2つの出版社を訴えました。
訴えた内容は次の通りです。
・モーガンが単なる海賊扱いされている
→モーガンの主張:植民地争奪戦争の中で私掠免許状のもとで行った正当な行為
・聖職者や住民に加えた残虐行為について
→モーガンの主張:事実を誇張しているし、自ら命じたことではない
・マカイボ遠征のときのスペイン艦隊を破った火船攻撃について
→モーガンの主張:部下の提案ではなく自身の発想である
1番目のモーガンの主張は正論かもしれません。
真偽のほどは別として(その冷静かつ客観的な態度で臨むエスケメリングの記述に、嘘や誇張があるとは考えにくいのですが)、3番目の主張はなんか器ちっさww
裁判はモーガンが勝訴し、両出版社は200ポンドの賠償金を支払い改訂版を出すことになりました。
しかし、この訴訟が話題になり本はますます売れ出版社はウハウハだったそうな。
なんか現代と変わらない話ですね^^;