原作は連載25周年、最終章突入の節目に制作された本作。
監督はTVアニメ化前の初のアニメ作品『ONE PIECE 倒せ! 海賊ギャンザック』で監督を務めた谷口悟朗氏。脚本は『FILM GOLD』以来、2度目の起用となる黒岩勉氏。原作者の栄ちゃんは『FILM GOLD』ぶりに総合プロデューサーを拝命し、これまでの劇場版シリーズの中で、最も映画制作に関与したという話です。
<あらすじ>
世界で最も愛されている歌手、ウタ。
素性を隠したまま発信するその歌声は”別次元”と評されていた。
そんな彼女が初めて公の前に姿を現すライブが開催される。
色めき立つ海賊たち、目を光らせる海軍、
そして何も知らずにただ彼女の歌声を楽しみにきたルフィ率いる麦わらの一味、
ありとあらゆるウタファンが会場を埋め尽くす中、
今まさに全世界待望の歌声が響き渡ろうとしていた。
「
音楽映画」という、これまでのワンピース劇場版になかった新しいコンセプトのもと誕生した本作の敵役でありヒロインの歌姫ウタ。ボイスキャストと歌唱キャストが別のダブルキャストで、歌唱パートは歌手のAdoさんが担当しました。
ストーリーの大筋が決まると、ウタが歌唱する7楽曲の制作が決定。楽曲制作はそれぞれ国内のアーティストや作曲家7組が担当し、ウタが歌っているMVも制作され、一部楽曲については映画公開前からAdoさんのYouTubeチャンネルで公開されるなど、劇中外でも今までになかった戦略を見せました。
「新時代」作詞・作曲・編曲:中田ヤスタカ
「私は最強」作詞・作曲:大森元貴 編曲:Mrs. GREEN APPLE/伊藤賢
「逆光」作詞・作曲・編曲:Vaundy
「ウタカタララバイ」作詞・作曲・編曲:FAKE TYPE.
「Tot Musica」作詞:cAnON 作曲・編曲:澤野弘之
「世界のつづき」作詞・作曲:折坂悠太 編曲:川口大輔
「風のゆくえ」作詞・作曲:秦 基博 編曲:トオミ ヨウ/秦 基博
制作されたこれらの劇中歌はいずれもキャッチーで、魅力的であり、本作の歌の比重はかなり大きいものとなっています。そう、
歌は良いんですが・・・
じゃあ、何がダメだったかというと、色々ダメでした。
本がダメ
音楽がダメ
バトルがダメ
ギャグが寒い
ウタを理解できない
谷口悟朗監督曰く、結果的に色々詰め込んだエンタメ映画ということなのですが、色々な要素を詰め込みすぎて結果的に、
視点がぐしゃぐしゃな映画でした。観客はどこに視点を置いたらいいのか分からないまま場面は雑に二転三転と進んでいき、ワクワクするような盛り上がりもなく、寒いギャグとちょっと痛いセリフに何度も萎え、ウタの暴走に呆れ、形骸化したバトルを経て、感動的な劇中歌でそれっぽいエンディングを迎えます。
言ってしまうと、作りが下手クソな映画なんです。
注目されたウタの能力は”
ウタウタの実”で、その能力は、
能力者の歌声を聴いた者は眠った様に気を失い、精神が現実世界を模した仮想空間「ウタワールド」に閉じ込められるというものです。ウタは「ウタワールド」の中で創造神のごとく自在に振る舞うことが可能で、公開前から存在が明かされていたサニー号の化身「サニーくん」はウタの能力により生まれた幻想でした。同様に、一部のキャラクターがデフォルメ化されて小型化しますが、ビジュアルの面白さのみで、彼らが活躍する場面は特にありません。
映画冒頭、舞台となるエレジアのライブ会場は霧が立ち込めており、色彩設計は暗い調子でしたが、ウタのライブが始まると天候が晴れ、急に色彩が明るくなります。実はこれは、ウタの能力が既に発動していたことを示唆しており、ライブ開始時点から、ライブ会場にいた観客達は皆、「ウタワールド」に取り込まれていたことになります。ウタの能力と目的が明らかになるのは、起承転結の「承」です。
ウタのライブ1曲目は「新時代」で、ここはまだワクワクしていられます。
音源はバックトラックのレベルを上げて、ライブ風に変えられているっぽいのですけど、ドラムが音割れギリギリのところでベキベキ鳴っていて評価は分かれるところです。モニターに投影されたウタは3Dモデルが使われており、映像は初めはライブ風でしたが、途中から早くも現実から離れた幻想的な感じになっていきます。2曲目以降は、明らかにウタの能力が発揮されて絵替わりするのでいいのですけど、1曲目ぐらいは通しでライブ風映像にして欲しかったところです。
1曲目が終わると、ルフィがステージに上がり、傍から見ると完全にヤベー奴になるわけですが、警備の人間が出てくることもなく、逆に海賊がどんどんステージに上がってくるという。ライブ中だったのにウタはそれを早くもほっぽり出してルフィ達と雑談したりしてるし、何なの?と乗り切れずにいると、振り返ってみれば実はその時点で「ウタワールド」の中のだったという具合です。ルフィがヤベー奴なのは変わりないのですけどw
「ウタワールド」におけるウタの能力は絶対的かというとそうでもなく、ウタによって”五線譜”に拘束された場合、頭部を音符に見立てて、その音を発声すると拘束が解除されるという謎のご都合設定があります。ウタが創り出した、頭が音符でジャージのような服装の戦士はダサいなぁ〜と思っていたら、残念!栄ちゃんのデザインでしたw
世界政府はウタの能力を把握しており、ウタの初ライブを警戒していました。サイファーポールと海兵を数名、ライブ会場に斥候として送り込んでおり、その中にブルーノがいました。「ウタワールド」に閉じ込められた者達は能力がそのまま残るようで、ブルーノのドアドアの実の能力は、「ウタワールド」の中での移動の時間短縮のために使われることになります。
ウタを狙って会場に潜入していたビッグ・マム海賊団のオーブンとブリュレの役割は、同様にブリュレのミラミラの実の移動能力にあったと見られます。しかし、この映画は時系列的にはワノ国編後に当たるので
(追記:正確にはワノ国編中のパラレル。ワノ国編前後だと整合性が取れない)、ビッグ・マムが劇中に普通に登場しているのは違和感がありました。
結局、ブリュレの能力が劇中で重宝されたわけでもなく、ビッグ・マム海賊団の登場自体が不要だったように感じられます。チャルロス聖の登場も不要ですし、ローもバルトロメオも特に必要ありません。その上、ベポのギャグシーンはシラけましたし。それでいて、ルフィ以外の麦わらの一味は映画中盤は図書館みたいなところで、よく分からないロボとなんとなしに戦うだけになっています。
バルトロメオは「サウンドバリア」という音も遮断するバリアでウタの能力発動を防ぐ場面がありましたが、それを出すなら、ローの〝R・ROOM(リルーム)〟〝凪(サイレント)〟をウタに施せば良いじゃないかという話になってしまいます。
話は逸れますが、そもそも、ウタウタの実の能力は最初に歌を聴かせて夢の世界に転移させるところでほぼ完結しているのに(転移した者は自力で脱出できない)、夢の世界の「ウタワールド」内で能力者がさらに歌で戦うという点は曖昧で腑に落ちず、全体的にモヤッとする原因になっています。
『私は最強』歌唱シーンで体現されているように、そしてアプーの能力のように現実世界で”歌”で戦うという明確な能力設定であれば、バトルが面白くなり、かつ劇中で歌う意義がクリアになり、『ONE PIECE』の音楽映画として上手くいっていたはずです。その場合、ストーリーは全く別のものになりますが、結構なことです。
そして今回の麦わらの一味以外のキャラクターの活躍や海賊、海軍、CPの共闘は、前作『STAMPEDE』を意識したものだと思われますが、今回はてんで上手くいっていません。TVアニメ「ワンピース」と関わりのない谷口悟朗監督の抜擢は、これまで無意識に固まってしまったワンピース劇場版の様式みたいなものに囚われないためという話もあったのですが、蓋を開けてみれば、割と過去作を踏襲しているところがありました。
最終バトルで敵役がやられる前に、敵の回想シーンが流れたり(これは私は好きじゃない)、最終バトルで「ウィーアー!」をアレンジした楽曲が流れたり。ベポとブルーノの小型化は、言ってしまえば『FILM Z』のモドモドですし。
「ONE PIECE FILM」シリーズ様式美の一つ、麦わらの一味の衣装の入り替えはウタの能力で勝手に変えられてしまったということで”処理”されています。これこそ、一番必要ないものですけども。
逆に劇伴は、いつもの田中公平先生ではなく主題歌「新時代」も手がけた中田ヤスタカ氏が担当しています。『FILM GOLD』の際も別の方が担当しましたが、今回は失敗だったと思います。基本的にオーケストラ風の楽曲が場面場面で流れているのですが、シーンに合っておらず(基本的に明るい)、気になって仕方ありませんでした。
また、回想シーンで流れる劇中歌はぶつ切りで場面転換されることが何度かあり、これは敢えてだと思われるのですが、効果的だとは思えません。幼少期のウタの歌唱もAdoさんがやや拙く演じていますが、流石に無理がある感じです。
余談ですが、劇中歌とウタ、歌唱のAdoさんの関わりの話をすると、MVやVTuberのような「
ウタ日記」を作った経緯から、本来はウタというキャラクターが実在するように錯覚させることが、制作側の戦略的な目標であったわけですが、ウタの楽曲は歌唱の振り幅が大きすぎて、「ウタだよ〜☆」とのたまっているキャラと同一人物とは認識しにくく、単にAdoさんの歌唱力の凄さを思い知らされ、とりわけ「逆光」の楽曲のイメージから、残念ながら、ウタというキャラクターがいるというよりは、ウタというヴォーカロイドというイメージの方が強くなりました。
そして、最も問題なのはウタというキャラクターです。
言ってしまえば、聞く耳を持たない情緒不安定な暴走状態。
最終的にウタを倒すという流れにはならないので、映画の構造的に、最終的にウタに共感できないと気持ちいいエンディングを迎えることはできないわけですが、これがなかなか難しいです。
ウタは幼い頃、父親だと思っていたシャンクス(※シャンクスは実の父親ではない)に裏切られて捨てられ、元エレジア国王のゴードンのもとで成長します。赤髪海賊団はエレジアに近づくためにウタを利用し、エレジアを滅ぼしたという話です。ルフィはシャンクスがそんなことはしないと言いますが、『ONE PIECE』読者からすると、シャンクスが外の海で何をやっていたのかは全く知らないので、そうとも言い切れないのが実情です。外ではしっかり海賊をやっていたかもしれませんからね。
そして、歌手として絶大な人気を得たウタは、初ライブに集まった観客(何十万人?何百万人?)とライブビューイングをしている世界中の視聴者を「ウタワールド」に取り込むことを計画します。
「ウタワールド」は能力者が眠りにつくと、閉じてしまいますが、能力者が眠らずにそのまま死ぬと「ウタワールド」は閉じずにそのまま残るのだとか。つまり、その場合、「ウタワールド」に取り込まれた人間はそのまま永遠に閉じ込められてしまいます(現実世界の体が大丈夫なのかは不明)。
ウタは「ネズキノコ」という不眠になる副作用を持つキノコを食べて、その計画を実現しようとします。「ネズキノコ」を食べ続けた者は死ぬという話です。ウタはそのような自己犠牲によって人々が苦しみから逃れ、誰もが幸せに生きることができると考えます。
しかし、普通にウタのライブを楽しみにしていた人がほとんどで、現実の生活がありますから、ウタの計画に素直に同意する者は少ないでしょう。本気で計画を考えるならウタは宗教を興すべきでした。元の世界に帰りたいとウタに異を唱える者達が現れると、ウタは観客達をぬいぐるみなどの姿に変え、物言えない状態にしてしまいます。この辺りからのウタの暴走は、ネズキノコの副作用によるものみたいです(そういう設定らしい)。
実際、現実世界ではライブビューイングを通して、世界の人口の7割もが「ウタワールド」に取り込まれたと推定されています。五老星は新たな脅威だとウタを世界政府の敵と認定しますが、ウタを殺してしまえば、世界政府は7割もの人口を失うことになります。しかし、海軍元帥のサカズキは構わずウタの抹殺指令を出していて、流石にそれはないだろという感じです。
海軍が現実世界のライブ会場に立ち入ると、ウタに逃げる様子はありません。現実世界では、まぁちょっと腕っぷしが強い程度の女性ですからね。ただし、ライブ会場で眠っている大勢の観客達を操って、海兵達を襲撃させています。”ウタウタの実”の能力を考えると、オーバースペックな気がしてなりませんが。
市民なので海兵は手を出せないかというと、ウタを殺せばどのみち犠牲になる者達なので、海軍はお構いなしに銃撃しています。観客が撃たれてウタが動揺していますが、既にこの子についていけません。
というか、ライブ会場には30億ベリーの賞金首が二人(ルフィ、ロー)も寝転がっているんですよね。おい、海軍。
そして映画終盤では、エレジアを滅ぼしたのは赤髪海賊団ではなく、ウタが知らずに呼び起こしてしまった魔王「トットムジカ」だと明かされます。
このあたりから、無茶苦茶ファンタジーになります。『ONE PIECE』の世界観と離れている設定であり、過去作の『呪われた聖剣』や『オマツリ男爵と秘密の島』に近しいものがあります。これだけでも受け付けない人はいるでしょう。
ウタが幼かったため(?)、当時、エレジアに現れたトットムジカは勝手に消滅(?)します。そもそも滅んだエレジアの生き残りが元国王のゴードンとウタの二人だけで、滅んだエレジアで二人で暮らしていたというのは、おかしな話です。また、シャンクスはウタを置き去りにしたのはウタの気持ちを気遣って自分が濡れ衣を被ることを選択していますが、ウタが気を失っているうちに何もなかったかのようにウタを連れて帰れば良かったのでは思ってしまいます。
これでウタのシャンクスに対する誤解は解けて良かったね、となるのかと思いきや、ウタはその事実を計画の前に偶然、知っていました。なんでい!…だとすれば、序盤からウタに影のある様子を分かりやすく描いてほしいものです。というか、不要なシーンを省いて、ライブ前のウタやゴードン、世界政府らの様子をもっと丁寧に描くべきです。
ウタは自責の念から、自己犠牲を伴う今回の計画に至ったのかと愚考するわけですが、最終的には世界を滅ぼす(?)「トットムジカ」を再び呼び起こしてしまいます。眠っているルフィの胸にナイフを刺そうとして(?)、シャンクスに止められてもいますし、ウタが何を考えているのか本当によく分かりません。精神的に病んでるってことなのでしょうけど、共感はできません。
「トットムジカ」は禁断の歌(?)を歌うと現れるのですが、その歌が劇中歌の「Tot Musica」となっています。「トットムジカ」との戦闘シーンで流れるこの楽曲はかなり良く出来ており、シーンによくマッチしています。しかし、クライマックスとなる魔王「トットムジカ」との戦闘は大したことがありません。
過去にエレジアを火の海にして滅ぼした「トットムジカ」は現実世界と「ウタワールド」両方に現れますが、印象としては攻撃を受けていただけで脅威は一切感じられませんでした。「トットムジカ」が本気を出すと、ライブ会場で眠っているルフィ達や観客達が皆殺しにされてしまいますから、都合上、派手に暴れてもらうことはできないと。。
そして「トットムジカ」を倒す方法は、現実世界と「ウタワールド」から同じ箇所を同時攻撃することだと言います。……うーん、魔王復活からの、これ。あまりにも陳腐ですw
だとすると「トットムジカ」って、ウタウタの実の能力ありきってことなんでしょうか。謎です。
現実世界では赤髪海賊団とカタクリらが、「ウタワールド」では麦わらの一味やオーブンらが同時攻撃を仕掛けることになります。見聞色の覇気を通じて、お互いに会わずして、ウソップとヤソップがお互いの存在を感じていたりするのが、この場面のミソではあります。それが可能ならシャンクスはテレパシーが使えるのですけど…(
原作1055話)。
トドメにルフィはギア5を発動していましたが、ギア5の特性は特に発揮されておらず無意味な変身でした。ギア5はコミックス最新刊103巻(8月4日発売)に登場していますが、TVアニメではまだ未登場。劇場版がTVアニメに先行する形になりましたが、そこに大した価値はありません。これは寧ろマイナスでしょう。
作画に関しては「ONE PIECE FILM」シリーズの平均かそれ以下という感じでしょうか。結構、粗がありましたし、とりわけ凄かったという場面があまり思い当たりません。現在放送しているTVアニメのワノ国編の作画が異常に良い分、劇場版とクオリティが逆転しちゃってますね。
「トットムジカ」を倒した後は、ウタが海軍に取り囲まれますが、シャンクスが覇王色の覇気で一蹴しています。海軍大将の黄猿と藤虎もいましたが、観客達を戦いに巻き込む恐れがあるとして撤退しています。お前ら、さっきまで、その観客も含めて世界の人口の7割を犠牲にしようとしていたがな。。
結局、ルフィとシャンクスは映画の中では会わず、ルフィが目を覚ました頃には赤髪海賊団の船はサニー号とは別の方角へ去って行くのでした。
エンディング曲は「風のゆくえ」で、ウタの歌を聴く世界中の人たちの情景が静止画で描かれています。しかし、結局、ウタがどうなったのかはっきり描かれていません。もしかして死にました?いや、寝たのか。
ウタは世界政府からは敵と認定されていますし、実際に今回のような事件も起こしていますから賞金首になっていてもおかしくありません。シャンクスが赤髪海賊団の音楽家として引き取るのが安全で一番幸せだと思うわけですが、エンディングの描写的には、これまで通り歌手をまだ続けているということでしょうか。あんな事件を起こして今まで通りとは信じ難いですが。
追記)入場特典コミックス掲載のプロットには「死にゆくウタ」と書かれている(追記終)
この映画では実はシャンクスの生い立ちが明らかになっていますが、劇中の描写のみではよく分かりません。このあたりも前作『STAMPEDE』の踏襲で、原作でまだ出していない重要な情報を劇場版で初出しするというものですが、この映画をより突散らかせるだけのものとなっています。
エンドロール後にはサニー号船首に座り、「サニーくん」を思い出しているルフィが登場しました。そして、一言。
ルフィ「海賊王に おれはなる!」
…は?(マイナス50ポインツ)
センスがズレまくっているのが、この映画の敗因でしょう。
ウタの「負っけ惜っしみ〜☆」も然り。
追記)
まさかの2度目の映画館鑑賞へ
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