僕は宮崎駿ファンなので、彼が作ったものなら何でも見てみたいんです。今回の「クルミわり人形とネズミの王さま展」は、宮崎さんがアカデミー賞授賞式にも行かずに準備していたと鈴木敏夫さんのラジオ(※「鈴木敏夫のジブリ汗まみれ」)で聞いていたので、どんな仕事をしたんだろうと思ってとても楽しみにしていました。見て、満足しました。宮崎さんの絵が見られて、本当にうれしいです。<略>
原作の『クルミわりとネズミの王さま』は、正直、読んでも理解できなかった(笑)。僕、自分で絵を描きながらお話を追ってみたんだけど、それでもだめだった。だから、宮崎さんはどうやって理解したんだろうと、非常に興味を持ったんです。展示の内容を紹介するパネルに、「わからん」と宮崎さんのコメントが書いてあって、すごく安心しました。”ああ、よかった、宮崎さんにも分からないんだ、宮崎さんも人間なんだー”って。
僕から見ると『クルミわりとネズミの王さま』は連載漫画なんですよ。要するに、連載する感覚でお話を作っていけば、こんな話ができるんだと思うんです。
僕が子どものころに読んでいた週刊少年連載漫画というのは、たいていストーリーのつじつまが合っていなかった。僕が大好きだったのは『キン肉マン』ですね。当時の漫画って、先週「新キャラ登場!」といってたくさん登場したキャラクターが、次週には平然といなくなっていたりするんですよ。漫画家さんたちも、面白さを優先したいからつじつまに関係なく描くし、子どもはそれを全然気にせず受け入れるんですね。それが昔の連載漫画だったんです。だから、僕は漫画家になったとき、きちんとつじつまを合わせた物語を作ってみたいと思ったんです。過去と未来をつなげて作ることを個性にしたのが、僕が描いている『ONE PIECE』という漫画です。
現代ではみんな口うるさくなったというか、矛盾をより細かく指摘する人が偉い、みたいな風潮になってしまった。かつて『少年ジャンプ』は少年だけのものだったけど、いまは大人も読むようになったからかな。作り手も、大人を納得させるためには、つじつまを整理しなきゃならなくなるんじゃないですか。僕もその一因という気もするんですが。でも、物語を作るのに、話がつながっていなきゃいけないとか、伏線をちゃんと張らなきゃいけないとか、そんなルールはそもそもないはずなんです。人を楽しませようとするときに生まれるものは、『クルミわりとネズミの王さま』のような、自由な発想だと思うんですよ。
僕、映画に関しては”世界観があればオールオッケー”という見方をしているんです。宮崎作品がなぜ好きかというと、印象的なシーンが完成されているから。たとえストーリーがつながっていなくても、そのシーンを観るのが楽しいんです。だから、「千と千尋の神隠し」以降は、ストーリーに関していえば全然意味が分からない。「ハウルの動く城」も「崖の上のポニョ」も何度も観てやっと自分なりの解釈が生まれるくらいで、理解するのに時間がかかりました。
宮崎さんが映画を作るときは、はじめから全ストーリーが決められているわけではなく、スタッフ全員もエンディングを予想できないまま作っているそうですね。だから、宮崎さんは連載作家なんだと僕は認識しているんです。しかも、僕が子どものころ大好きだった巨匠たちの作り方をやっている人。このシーンが面白ければいいんだという作り方で、ストーリーをどんどん紡いでいる。
面白さを単純に追求していくと、こういう作り方になるんでしょうね。宮崎さんくらいの人になると、つじつまを合わせようと思えばできるんです。絶対。ただやらないだけなんですよね。それがなぜなんだろうというのが、ずっと僕の疑問だった。なんでわざわざ分からなくしてしまうんだろうって。<略>
宮崎さんは、一生かけても時間がないくらい、描き切れないほどの映像を頭のなかに持っているんだと思うんですよ。なのに、なんでもつじつまを合わせなきゃいけないとなると、描きたいものを削らなきゃいけなくなる。だから宮崎さんは、もうそれをしたくないんだ。つじつまが合わなくてもいいから、描きたいものはみんな描くんだという気持ちがある。そういう積み重ねが「千と千尋」以降の映画だったと思うんです。<略>
僕はいま、『ONE PIECE』でおもちゃの”兵隊さん”が登場するお話を描いています。おもちゃといえば、壊れるイメージがある。人と違って回復しない。壊れても、あんまり直さないでしょ。そういうはかなさがいいなって思ったんです。
僕もイメージから入るほうなので、宮崎さんが映画を作るときに描いているイメージボードのようなものを描くんですよ。今回(※ドレスローザ編)でいえば、おもちゃの”兵隊さん”とちっちゃい女の子が手をつないで歩いているシーンをまずノートに描いたんです。あとはそこから膨らませていく。僕の持つ兵隊のイメージは、極端に言うと死んでいく人たちなんです。これは『クルミわり人形とネズミの王さま』の時代とも、戦争を体験している宮崎さんとも、違う感覚なのかもしれない。「仮面ライダー」や戦隊モノができる前は、兵隊はヒーローだったと思うんですね。
兵隊のおもちゃの横に少女を描いたのは、男の願望ですね。助けられるのは女の子がいいんですよ、きっと。僕の場合は娘がいるから、余計にそう思うのかもしれない。環境の影響って大きいんですよね。例えば僕の場合、結婚前は、実の親子の物語なんて恥ずかしくて描けなかった。なぜかというと、独身時代に自分が知っている親子といえば、自分と両親になるんですよね。だから、『ONE PIECE』でもある時期まで、血のつながった親子関係は一切描いてないんですよ。
ニコ・ロビンという女性キャラがいるんですが、彼女のエピソードを描くとき、初めて実の親子関係を描いたんです。自分でもびっくりしたんですよ。いままで描こうとも思わなかったから。ふと横を見ると妻がいて、娘がいる。親子のイメージが、自分と両親から、妻と子どもにいつのまにか変わっていたんですね。<略>
このインタビューを依頼されたとき、宮崎さんの「クルミわり人形とネズミの王さま展」も、僕の描いているおもちゃの”兵隊さん”のお話も、”おもちゃ”というモチーフを扱っていると指摘されました。ただ、僕の場合、モデルがあるとすれば『スズの兵隊さん』という童話で、片足の人形とバレリーナのお話なんですね。『クルミわり人形とネズミの王さま』は今回初めて読みました。
同時期に”おもちゃ”というモチーフを扱っているのは、なぜでしょうね。自分でもよく分からない。ただ、漫画に関していえば、全く知らない漫画家さんと、同時期にネタが被ることはあります。長く連載していると、結構そういうことがあるんですよ。きっと周りで起きた事件とか、時代背景に対して自分が考えたことが作品に反映されるから、同じきっかけがあったのかなと思います。
自分では自然に思いついたものだと思っていても、社会に影響されているんだなと思うんです。景気が悪いときは明るい漫画が受けるとかね。時代と逆行するものが受け入れられやすいから。苦しいときこそ、想像に溢れた理想の世界を見たくなるものなんだなと思います。
ポスターをひとつとっても、宮崎さんの絵って温かい絵ですよね。線のタッチが軽いんです。余計な力が入ってない。で、うまい。線って、若ければ若いほど力強い線をどうしても描きがちなんです。若いうちから柔らかい、いい雰囲気の絵を描く人はいない。だから、技術を自分のものにして”もうなんでも描ける”という状態になって、自由に頭のなかから引き出してきた絵という感じがするんです。余裕がある。こんな絵は描けないですよ、誰も。<略>
昔の絵コンテとか、制作に関わった資料もどんどん本にしてほしい。『宮崎駿の雑想ノート』(大日本絵画)も何度も見ていますよ。ちょっとした落書きだって、宮崎さんが描くとすごく雰囲気がいい。見ていてほっとするんです。
どんなかたちであれ、ずっと絵を描いていてほしいし、僕はそれを見ていたいですね。(談)
(漫画家 おだ・えいいちろう)
つじつまばかり気にしているというのは本当に腹が立つんです。「説明されていない」とか、「僕は分かるけど、ほかの人は分からないだろう」とか、そういう映画の感想がものすごく多くて。僕の率直な感想は「おまえは分からなくていい」(笑)ですね。
実は作品なんて分からないものだらけなんです。分からないものだらけなのに「分からなきゃいけない、説明しなきゃいけない、それはこういう意味を持っている」とか、「こういうテーマがある」とか、そういうことを整然と理屈で言えなきゃいけない、全部漏れなくしゃべらなきゃいけないなんてのは、病気です(笑)。誰でも思いつくことで映画をつくってもしようがないんです。「いろはにほへとちりぬるを」を全部書きましたって言っても、何も立派なことはないですね。映画というのは、途中、「へ」が入って、突然「に」があったとか、それで終わっちゃったっていいんです。途中で飛んだり外したり……。「風立ちぬ」、この映画の中で、戦争反対からアジアの平和まで全部言わなきゃいけないとか、戦争責任についてとか、ちゃんちゃらおかしいですよ。戦争中たとえ飛行機をつくらなくても、どんなジャンルでも、似たようなことを、ものすごくたくさんの人間たちが同じように体験しているんです。それで、責任がないかといったら責任はある。だけど「おまえも自分で責任をとれたか」というと「とれない」という、ね。そこを糾弾するのはイデオロギーです。「風立ちぬ」をつくってみて、思いのほかイデオロギーに縛られている人間があちこちにいっぱいいることが分かった。つまらないですね。つじつまだけ探して、何とかしてルールを説明してしまいたい。「この映画のルール、このゲームのルール、それからこの小説のルールはこうです」というふうにね。自分で決めたルールは、作品の中ではある一定は守らなきゃいけないんだけど、ホフマン(※『クルミわりとネズミの王さま』著者)なんか、守ってもいないぞと。初めからルールは見ないという感じでやっている(笑)。そういう考え方があるんだと思ったら、それはそれで僕は納得しました、確かにそうかもしれないと。
(アニメーション映画監督 みやざき・はやお)