(連載直後に開催された「鳥山明の世界展」で公開された作画映像を現在の鳥山先生が見たオーディオコメンタリー)
鳥山:あー、これはきっと紙が良くないですね。音がガリガリ言って。僕知らなかったですけど、一番ダメな紙を使ってたんですよ、(デビューしてから)ずっと。尾田君とかに教えてもらったら、良い紙だった最近はー(笑)。だから(良くない紙は)線維が引っかかるんだと思います。ガサガサと引っかかって細い線が描けない。でも逆に良い紙でやってたら、描き込んじゃって(締切に)間に合わなかったかもしれない。
<ROAD to JUMPより>
幼い頃から絵を描きながら育った堀越先生。高校時代には『ONE PIECE』のイラスト投稿企画にも投稿。
「『ONE PIECE』が好きな友達と一緒に投稿しよう!ということになり、初投稿で運良く採用してもらえました」
堀越:あーこれ(藤子 不二雄Ⓐ先生の『笑ゥせぇるすまん』イラスト入りサイン)凄いです。これはもう超レアって言われちゃったんですけど、汚れてるなぁ…最悪だ…。あ、これ超レアな尾田先生が失敗した色紙です(笑)。
堀越:これが正しい『ONE PIECE』のサインです。あとナルトの…手塚賞の時か、手塚賞受賞した時に頂いたやつですね、ほとんど。当時は浮かれてましたね。手塚賞取った時だから大学2年生ぐらいの時で、会場に色んな人が来るぞーって色紙とサインペン買って、ヤッホーって。
和月:『るろうに剣心』やってた頃、(アシスタントに)尾田先生とか武井先生がいた頃に仕事場に残ってた落書きですね。(中略)あ、これは尾田君の『MONSTERS』っていう読切がありましたよね。あの主人公ですね、おそらく。(中略)・・・みたいのを壁にべたべた貼ってやってた時期がありましたね〜。ずっと昔ですね。すっげーそれこそ週…長い時だと5日ぐらいスタッフ入ってもらったのに、よくまぁこういう落書きとかして余裕があったというか、パワフルだった。だからこそ、みんな漫画家になれたんだと思いますけど。なんかすっごいキツかったけど楽しかったですね。充実してたっていう意味合いが正しいですね。
(資料棚に並ぶ漫画を前にして)—— 一番のお気に入り作品は?
古味:一番となると、未だに『ONE PIECE』を超えるものはないな〜と思ってます(笑)。本当に、子供の頃に『ONE PIECE』を読んでなかったら漫画家になってないと思うので、その作品が一番ですね。ただ、上京する時に量が多過ぎたので、この本棚にはないんですけど。
古味:元々、僕はファンタジーとかバトルものとかっていう少年漫画に憧れてこの世界に入って来たので、元々『ONE PIECE』が大好きだったというのもありますし、なので本当はそっちを描きたくてこっちの世界に来たのですが、そういう作品を描いていっても全然面白いのが描けなくて、そこで困っている時にその当時の担当(編集)が「君はなんかラブコメの部分を描いていると凄く上手に漫画が描けてるから、ラブコメで連載してみたらどうだ?」。そういうアドバイスをもらってそこからラブコメなんて一度も描いたことがないし、そんなに読んだこともないんだけど、こっちの世界に入ってることになって、そして今『ニセコイ』を連載するに至るという、そういう経緯ですね。
浅田:これ尾田さん家から貰って来た、うちの子供が大量に貰って来まして。これ(ハンコック)は「ちょっとくれよ、俺に」って(うちの子供に)言って(笑)。
富樫:ここら辺あたりはまだきっちりやっていますが、この下らへんですね。基本的にネットがざわつく…という感じの仕上がりになっている画のやつです。半日ぐらいで多分原稿19枚上げていた時のやつですね。ネームを考えるのが好きなもので、とにかくそっちの方に時間を割きたいと思ったら、どんどん原稿の方に時間を使う時間がなくなった結果、「もう、ここまでしか待てません!」って言われるギリギリまで時間を頂いて、その結果、ここにあるミリペンで上げたっていう感じの回です。はい。まぁ、その時のテンションやら、そういう風なことを大事にしてそのまま(ジャンプに)載せていたりするんですけど、どうなんだろうと思ってちょっとここ(作業机の後ろ)に置いている感じです(笑)。