このブログを読んでいる人は手元にコミックスがある人が大半でしょうから、89巻カバーの作者コメントを改めて開いて見てくれればよろしいかと思います。
Σそれ、88巻じゃーい!w
88巻の作者コメント欄では謝罪会見を皮肉った絵かき歌が載っているわけですが、今回の件で非常に皮肉なことになっています。掲載が前後していれば没ネタになっていたところでしょうね。
栄ちゃんの作者コメントは、作者の心境やエピソードを語った通常っぽいものから、ちょっとした小咄・漫談系、無茶なチャレンジ系(実際はやってない)、提唱・命名系、コント系(作者イラストと関連)、定番コメントの「○○巻始まるよー!」の振りになっている前フリ系などいくつかのパターンに分かれます。80巻台からはネタ切れが露呈しており、割と雑なコメントが多くなっていた印象があるわけですが、そんな折の今回の89巻の作者コメントはまさしく提唱・命名系と前フリ系のパターンに当てはまります。
89巻の作者イラストは旧日本兵(モチーフは小野田少尉)。作者コメントは、居酒屋で人数と数が合わないために残る大皿の唐揚げなどを例に、ぽつんと残ったそれに「横井軍曹」という名前を付けるというもの。「横井軍曹」は太平洋戦争(大東亜戦争)が終結後、終戦を信じきれずグアム島の密林に潜伏し続けた残留日本兵の最後の一人、横井庄一さんを指しています。横井さんは現地の住民に発見されて捕まるまで、実に28年間、グアム島でサバイバル生活をしており、帰国の際は「恥をしのんで帰ってまいりました」「恥ずかしながら生きながらえておりましたけど」などと発言。これは戦時下の日本の軍教育(戦陣訓)で捕虜になることが禁じられ、その実践が”玉砕”(生き延びるよりも、潔く死ぬこと)とされていたために出た言葉です。そして、これを言い表した「恥ずかしながら帰って参りました」は流行語にもなっており、作者コメントではこれらの言葉を拝借して「恥ずかしながら!! 89巻、始まります!!!」と結んでいます。
この作者コメントを読んだ一部の方々からは、故人に失礼だという旨の批判がネットで広がり、主なその受け口となったAmazonの89巻のレビューは炎上状態となっていた模様です。
一方、89巻の作者コメントを読んだ私の感想は「いつも通り変なことを言っている」というのと、そしてこれが本質だと思うわけですが、「スベってる」と。横井さんは密林で隠れて生活していたわけですし、最後の一人になったのは他の残留日本兵が投降もしくは死亡したからですし、その時、戦争は既に終わってますし、終戦を信じない残留日本兵に投降を呼びかける米軍と地元民の苦労もあったと聞きますし、「横井軍曹」と名付けたそれを食べるように促して「誰か戦争を終わらせて!」と言うのは全くしっくりこないわけです。
座る時などに発する”よっこいしょ”に横井さんの名前をかけて”よっこいしょういち”と言う当時流行ったダジャレが今でもたまにと使われていたり、爆笑問題の太田光さんは「恥ずかしながら帰って参りました」をギャグのように使っているわけですが、本件を批判している人達がこちらに関しても不快感を示すのかは定かではありません。少なくとも横井さん本人はこういった”イジリ”については寛容だったという話です。ただし、今回の作者コメントはこれらの類いより多少”攻めている”ネタであるのは間違いなく、不快に感じる人の割合が多くなるのは理解できます。故人ですので、本件についてどう思っているかは誰も知る由はないわけですが、今のところ遺族(夫人の美保子さん)から何かしらのアクションがあったという話は出ていません。おそらく『ONE PIECE』についても本件については何も知らないはずですが、知らないのならそのまま放っておくのがいいでしょう。
先日のコロコロコミックのチンギス・カンをネタにした漫画表現では、モンゴルの日本担当外交顧問で大統領特別大使の元横綱・朝青龍さんがSNSで漫画の画像を掲載した上で抗議を訴え、外務省を通じて出版社に抗議が通達され、販売雑誌の回収・発売中止に至る騒動が起きました。チンギス・カンを英雄視するモンゴル人はあの漫画表現を見れば怒るのは当然で、モンゴル人から抗議があれば出版社が彼らに対して謝罪するのは分かるわけですが、この一連の騒動については色々な意味で問題がありました。民間レベルの話であるのにモンゴルと日本の外務省が国際問題のような取扱いをしていること、結果として外務省から出版社に圧力がかかったこと、それが事後検閲(表現の自由を保護するため憲法では禁止されている)まがいの事態であること、朝青龍さんが画像とともに事案を無用に拡散していること、漫画の内容に対する抗議であるのに日本人に対してヘイトを行っていることなどです。
こういった問題が起きる時、私が一番の問題だと感じるのは、自身が不快だと思ったことを発信・拡散する人達の人間性だったりします。チンギス・カンの例の場合、大半のモンゴル人はコロコロコミックのその漫画などを知るはずもなくそのまま暮らしていたはずで、ネットを通じて知った異国の漫画表現について怒りを感じているわけですが、そうさせたのは拡散した朝青龍さんであるわけです。出版社に直接抗議して、出版社が謝罪の意を表明するなどしていれば治まった事態をわざわざ大きくしているわけです。
また、不倫報道などで毎回思うのは当事者間の問題なので、当事者間でやれと。それについて外野から怒って騒ぎ立てる人の気が知れません。だから私が仮に本件について不快感を感じたとしても、それを拡散することはしないでしょうし、怒りを訴える動機もありません。またそれによって『ONE PIECE』の面白さが損なわれることもありません。
『ONE PIECE』が少年マンガであることを考えれば、「わからないちびっ子は調べてね」と書かれているように、読者層の今の学生は横井さんを知らない人が多いはずです。グアムでは横井さんのことを学校で習う機会があるそうですが、私が横井さんのことを学校で習った記憶はありません。そもそも、今の日本の歴史教育で戦後の近代史をまともにやっている印象がありません。今回の作者コメントを好意的に見れば、ともかく若い子供達が横井庄一さんのこと、残留日本兵のことなどを知るきっかけになったのではないかとも思います。翻訳版では、外国の方も知るきっかけになるでしょう(今回の件でそのまま翻訳されるか分かりませんが)。今年で横井さんが亡くなってから21年が経ちますが、故人を偲ぶきっかけにも結果としてなったわけです。というか、これからは89巻を開く度に思い出すことになるでしょう。
さらにフォローを入れるとすれば、栄ちゃんが横井さんを揶揄したり侮辱するような気持ちはもちろん無いだろうということです。ネットニュースで引用されている批判の内容を見ると、一部誤解があるようですが、作者コメントにあることを実際に実践しているわけはなく、今回は横井さんを題材に小咄を作ったということです。
この内容が、読む人が読めば不快感を示すだろうことは容易に予見できるわけですが、それを掲載しておいて少々(?)の批判を受けて反省文を出すという点に関しては”ダサい”と感じます。しかし、反省文の内容は批判の声の大きさにより、企業の危機管理上、仕方なく出したという気配は伝わってきます。と言うのも、本件について”不適切な表現”とはせず、「配慮を欠いた表現」に留めていることと、対応が「反省」と「より一層表現に留意」することだけで終わっているからです。これでもし、『ONE PIECE』が休載にでもなっていたら、それこそネット戦争になっていたかもしれません。
東日本大震災の際に被災者に向けて栄ちゃんが描いた応援イラストでは、不謹慎だという旨の批判があったために、この時は後日、イラストに込めた想いなどを語る機会がありました。今回の件でももしかするとそういった機会が今後あるかもしれません。ネットニュースで引用されている批判ではこの反省文が出た後も作者本人の謝罪がないといった旨の批判があるようですが、それに関してはもはや一体何様なのかと。遺族(夫人の美保子さん)からそういったコメントが出るのならばまだ理解できますよ。
まぁ、これぐらいですかね、本件についての私の所感は。言いたいことは概ね言えたと思います。栄ちゃんの擁護とかではなく、大体、当事者じゃないのに「謝罪しろ」とか平気で言っちゃって、かつ謝罪するのを見て満足するような人達が元々嫌いなタイプの人間なので、今回の件で感じることはもしかすると人と角度が違うのかもしれません。以上。
追記)
デジタルカラー版にてコミックス袖の差し替えを確認(2022年)。
トホホ・・・